変えられないもの 変えることができるもの
こんにちは、塩見です。
3月も中旬に入りましたが、今日は久しぶりに冷え込みましたね。
府北部でも、所によって雪が降り積もった地域もあるとのこと(社長情報より)。
私の勤務する福知山店では、朝方みぞれも混じっていましたが、ほとんど雨で午前中のうちに止んでしまいました。
もう雪になることはなさそうです。
季節はすでに春を迎えつつあるということでしょうね。
さて、本日の本題についてのお話を。
タイトルにある言葉は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが伝えたとされる「祈り」の一説「ニーバーの祈り(Serenity Prayer)」から抜き出したもので、本来は次のような一節となります。
”
神よ、天にまします父よ、
私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えてください。
変えることのできるものを変える勇気を与えてください。
そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えてください。
(ラインホルド・ニーバー)
“
キリスト教徒の教えではありますが、この言葉は宗教の枠を超えて、あらゆる人の
人生や日常に寄り添うことのできる力があるように私には感じられます。
かくいう私もキリスト教徒ではありませんが、この言葉はより簡易なフレーズとして私の中に根付き、今に至るまで自分の思考や決断を支えてくれています。
「変えられないものは受け入れるだけ。変えることのできるものを変えていけばよい。」
私の中では、このように言葉を単純化して、必要な場面でおまじないのように心で唱えて自分の考えを決めているのですが、ここで一つの例をご紹介します。
3月11日
この日は皆さんにとってどんな日でしょうか?
おそらく、「日本」においては多くの方が東日本大震災を思い浮かべられ、その追悼の日と感じられることでしょう。
震災発生当時、東京で働いていた私にとっても長らくそのような感情を持って、また当時の出来事を思い起こし、過去を振り返る日となっていました。
ところが、ある時から我が子の誕生日という別の意味も加わったのです。
妊娠中は出産予定日が近いと分かった時から、この日だけは避けたい・避けてほしいと願う気持ちが強く、出産直後も我が子の誕生を喜び愛しむ心の片隅で、どこか気持ちが晴れないような感情を抱いていました。
そんな時、あの言葉を自然と心の中で唱えていたような気がします。
また、当時の最新の研究で、出産のタイミングはお腹の赤ちゃんが決める(シグナルを発する)という説を事前に学んでいたことから、「この子がこの日を選んだのであれば、私はそのことを受け入れてあげなければ。」と気持ちを切り替えることができました。
誕生日は誰にも変えることができません。
したがって、それを受け入れることで心のモヤモヤを吹っ切ることができました。
また、3月11日を震災によって多くの生命が失われた日と悲しむだけでなく、自らの意識・考え方を変えることで、子どもの成長を祝うとともに、「命の大切さ」を改めて認識する日と捉えるようになりました。
今年もこの日を家族とともに過ごせたことに感謝します。
また、職場の方々からの心温まる誕生日プレゼントにもこの場を借りて感謝いたします。
飛び切りの笑顔で”プレゼント”を受け取っていましたよ。
早速、アンパンマン折り紙にも挑戦!
週末にはシャボン遊びも存分に楽しませていただきました。
福知山店は、従業員の家族のことも想い合ってくださるアットホームな職場です。
「自分の家族のように相手を想って接する」ことのできる諸先輩方を見習って、ご来店のお客様やお電話で対応させていただくお客様への接客意識に繋げていきたいと改めて思いました。