ふるさとは遠きにありて
みなさま、ご無沙汰しております。
1年振りの登場となりました塩見です。
さて、本日のタイトルにあります言葉、その続きをご存知の方も多いかと思われますが、改めてご紹介させていただきます。
小景異情 室生犀星
ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
そして悲しく うたふもの
よしやうらぶれて 異土の乞食と なるとても
帰るところに あるまじや
ひとり都の ゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこに かへらばや
遠きみやこに かへらばや
詩意
ふるさとは、遠く離れてなつかしく思い出して悲しく歌うべきもので、たとえ異郷で乞食(かたい)に落ちぶれても帰って来るべき所ではない。
ふるさとを遠く離れた都会で、夕暮れには望郷の念に涙ぐむのが常だが、その思いを心に抱いてまた都会に帰って行こう。
引用元:公益社団法人 関西吟詩文化協会
http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/s_D3_03.html
冒頭の言葉しか知らなかった私にとって、続く詩とその意味の悲しさ、切なさに少なからず衝撃を受けましたが、私が冒頭のフレーズを思い出すきっかけになったのがこちらの風景をカメラに収めた時でした。
2020年大河ドラマの放映が開始され、今をときめく福知山城でございます。
この日も大勢の観光客のみなさまが続々とお城を目指していらっしゃいましたが、 この写真を見てなにか感じるところはございませんか?
実は、私は「なんてもったいない。残念なんだ。」と思いながらこの写真を撮りました。
その理由は映り込む電線の多さです。
ちなみに、門を出ればこの景色です。
敷地内に入れば電線とは無縁のようですが、やはりちょっとの違いで景色の良さは格段に変わるように思います。
「電線が邪魔しているなぁ。」と感じた際に、私はふと故郷の静岡県(旧清水市)のことを思い出しました。
静岡県では昭和 61 年度から現在に至るまで、災害の防⽌、安全かつ円滑な交通の確保、良好な景観の形成等を図ることを目的として電⼒需要が⾼い都市部の道路から優先的に無電柱化が進められています。
私の地元である旧清水市も、今から30年近く前に中心部及び商業エリアの無電柱化工事が行われ、市の主要エリアからは電線に遮られることなく富士山を眺められるようになりました。
そうした風景に慣れていた私には、やはり観光地の風景が電線によって「残念」な風景に感じられてしまったのですが、その一方で故郷を見直す機会にもなったように感じました。
そこで思い浮かんだのが「ふるさとは 遠きにありて 思ふもの」だったのです。
この詩が生まれた時代や作者の生い立ちを考えると、「都会に出た以上、故郷はどんなに恋しくても帰る場所ではない」と自分を自ら戒める必要があったのかもしれませんが、私は自分に甘いので(?)故郷に帰りたいなぁと思う時があります。
昨年末は帰省できませんでしたので、余計に思いを馳せているのかもしれませんね。
お盆もお正月も故郷を離れている私ですので、今度帰省したならば、やはりお墓参りには行きたいものです。
世の高校生たちはセンター試験を終え、受験シーズン真っ只中。
就職希望者も、進学希望者も、春には故郷を離れていく方が多いことでしょう。
新境地でふと故郷の良さを思い返すことがあったなら、帰省した際にはぜひお墓参りもされてみてはいかがでしょうか?
今ある自分のルーツがその場所にあるという気持ちに気づくかもしれませんよ。
余談ですが・・・
私がゆらのガーデンを訪れた理由は、福知山城のポストカードを探していたからでした。
沖縄に住む古い友人が年末に送ってくれた絵葉書が、なんとも沖縄らしくて素敵だったの、その返事を書くためにご当地物のポストカードを探していたのです。
ちなみに、こちらがその沖縄から届いた絵葉書です。
色合いや模様から「らしさ」を感じられるのは、本当に沖縄独特といいますか、ユニークだなぁと改めて感じさせられました。
いつも素敵なセンスで沖縄風を届けてくれるこの友人にもとても感謝しています。
さて、私がゆらのガーデン内のお土産ショップで購入したポストカードは?というと、なんと写真を撮り忘れておりました!!!
気になる方は、ぜひぜひお店に足を運んでみてくださいね。
それでは!